【洗心とは・・・】
【洗心】洗う心とは・・心を記憶することでもなく・立派な人になることでもなく・高みにのぼることでもない。
このようにいう表現は、否定しているようにも聞こえるが、ワンネスの視点から見ると努力を否定しているのではなく、分業の発想を超えることを語っている。多くはもっと清い人になる・もっと立派な人になる・もっと高い境界に登ることと思われるかもしれない 。
だが、それは心を記憶することでもなく立派な人になることでもない。また高みに登ることでもないと教えられている。なぜか!それは記憶ない自分がいて・立派でない自分がいて・低いところにいる自分がいて・そこから別の自分になろうとする考え方が、既にワンネスの境地へと向かっている証。
我々はもとは大いなる1つの生命の中に生かされている。その生命から離れた存在ではないのだ。本来1つであったことを思い出すこと・曇った鏡を磨くようなものだ。
心を磨くことによって新しい鏡になることではない。もともと光を写していた鏡が再びそのまま光を写し始めるだけだ。
だから洗心とは良い人になる競争力でもなく、悟りの段階の上る競争でもない。
愛のまま、むしろ私は元々この大きな生命の中に生かされたと気づくことだ
森中:神のお言葉は、頭で記憶するのではなく、心に刻んで記憶できるまで、何度も聞き直しされると良いです。何度も何度も聞いて下さい。洗心した清らかな心も地球を救う1つです。


